Don't think. Feel
- 2017/09/08
- 16:06
考える・悩むことはよいことだ、苦悩の中から何か必ず良いものが生まれる・・
と、当たり前のように思って生きてきた。
しかし、私が出会った原始仏教の目的は「Don't think. Feel!」である。
過去・未来について思いを巡らし、悩む・憂う(think)よりも、
座禅で心身を静寂に置き、気付く(Feel)ことが大事であるという。
仏伝に書かれているが、理想を求めてひたすらの苦行を諦めた釈迦は、
菩提樹の下で瞑想(座禅)に入る。
その瞑想の中から、「四諦」「三法印」「十二因縁」などの真理に気付かれた。
ここで強調したいのは、仏教の真理ではなく「気付いた」ということです。
受験教育を受けてきた我々にとって、「考える」の対義語は「考えない」
「馬鹿」に他ならないが、第三局として「感じる(心を澄ます)」があることを
見落としているのである。
これは私独自の喩えになるが、メコン川みたいに濁った川に潜っても、視界は
ゼロだと思う。
ところがその水を容器に移し、静かに置いておいたら、どうだろう?
充満した泥は層構造をなして体積し、どこまでも見渡せるクリアな水が現れる。
視界がクリアになって初めて「Fee(発見)」が生まれ、「think」するのはその後
でよいはずだ。
大事なのは、雑念だらけの水を攪拌して、視界をゼロにしないこと・・考えずに
耳を澄ますこと。
南方仏教の出家者は、今でも一日の殆どを座禅に充てているし、悟りを得た
生前の釈迦自身も、戒律をまもり、座禅を含んだ修行を欠かさなかった。
座禅には「禅定」というクラス分けがされており、8段階を超えると悟りに至るとされる。
と、当たり前のように思って生きてきた。
しかし、私が出会った原始仏教の目的は「Don't think. Feel!」である。
過去・未来について思いを巡らし、悩む・憂う(think)よりも、
座禅で心身を静寂に置き、気付く(Feel)ことが大事であるという。
仏伝に書かれているが、理想を求めてひたすらの苦行を諦めた釈迦は、
菩提樹の下で瞑想(座禅)に入る。
その瞑想の中から、「四諦」「三法印」「十二因縁」などの真理に気付かれた。
ここで強調したいのは、仏教の真理ではなく「気付いた」ということです。
受験教育を受けてきた我々にとって、「考える」の対義語は「考えない」
「馬鹿」に他ならないが、第三局として「感じる(心を澄ます)」があることを
見落としているのである。
これは私独自の喩えになるが、メコン川みたいに濁った川に潜っても、視界は
ゼロだと思う。
ところがその水を容器に移し、静かに置いておいたら、どうだろう?
充満した泥は層構造をなして体積し、どこまでも見渡せるクリアな水が現れる。
視界がクリアになって初めて「Fee(発見)」が生まれ、「think」するのはその後
でよいはずだ。
大事なのは、雑念だらけの水を攪拌して、視界をゼロにしないこと・・考えずに
耳を澄ますこと。
南方仏教の出家者は、今でも一日の殆どを座禅に充てているし、悟りを得た
生前の釈迦自身も、戒律をまもり、座禅を含んだ修行を欠かさなかった。
座禅には「禅定」というクラス分けがされており、8段階を超えると悟りに至るとされる。